ロシア 6日間の旅行記
期間: 2017年(平成29年) 10月17日(火) ~ 10月22日(日)
第2日目: 2017年(平成29年) 10月18日(水)
ロシアの サンクト・ペテルブルグ 観光へ
国名 | ロシア連邦(Российская Федерация) |
面積 | 約1,710万平方キロメートル(日本の45倍,米国の2倍近く。世界第1位の広さ) |
人口 | 1億4,680万人(2017年1月)(世界第9位) |
首都 | モスクワ(Москва́) |
公用語 | ロシア語(他26の言語) |
民族 | ロシア(スラブ)人:81%、他多民族:180を超える。 |
宗教 | キリスト教(ロシア正教),イスラム教,仏教,ユダヤ教等。 |
地理 | ユーラシア大陸北部にある共和制及び連邦制国家 |
通貨 | ロシア・ルーブル(RUS)、為替レート:1ルーブル=1.95円(2017年10月30日現在) |
時差 | 日本よりマイナス6時間(サマータイムは廃止された) モスクワ、サンクト・ペテルブルグでは時差無。 |
気候 | サンクト・ペテルブルグやモスクワの10月は、平均気温5度C. |
世界遺産 (文化遺産) |
・サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 - (1990年) ・キジー・ポゴスト(キジ島の木造教会建築) - (1990年) ・モスクワのクレムリンと赤の広場 - (1990年) ・ノヴゴロドと周辺の文化財 - (1992年) ・ソロヴェツキー諸島の文化的・歴史的遺産群 - (1992年) ・ウラジーミルとスーズダリの白亜の建造物群 - (1992年) ・セルギエフ・パサドの至聖三者聖セルギイ大修道院の建造物群 - (1993年) ・コローメンスコエの主の昇天教会 - (1994年) ・クルシュー砂州 - (2000年) ・フェラポントフ修道院の建造物群 - (2000年) ・カザン・クレムリンの歴史的・建築的複合体 - (2000年) ・デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群 - (2003年) ・ノヴォデヴィチ修道院の建造物群 - (2004年) ・ヤロスラヴリの歴史地区 - (2005年) ・シュトルーヴェの測地弧 - (2005年) ・ボルガルの歴史的考古学的遺産群 - (2014年) ・スヴィヤジツクの集落島の生神女就寝大聖堂と修道院 - (2017年) (太字は、今回訪れた場所) |
サンクト・ペテルブルグ概要 Санкт-Петербург |
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サンクト・ペテルブルグ(Санкт-Петербург)とは、日本語に訳すと「聖ペテロの街」で、1703年に建設を始めたロシアの皇帝:ピヨートル大帝(青銅の騎士像になっている)が自分の守護聖人に因み、また大帝はドイツ(プロイセン)など西ヨーロッパに憧れていたこともありドイツ風の呼び方であるサンクト・ペテルブルグと名付けた。 「ブルグ」などドイツの地名については、私の旅行記 「駆け足で回ったヨーロッパ」のドイツ編 を参考にしてください。 現在は、レニングラード州の州都。ロシアでは、モスクワに次ぐ2番目の大都市。 1917年に首都がモスクワに移るまで、200年以上の長きに渡り帝政:ロシアの首都であり、歴史的な建造物や美術品が数多く残っており文化都市でもある。 街の名は、第一次世界大戦まで(1703年 - 1914年)はサンクト・ペテルブルク(Санкт-Петербург)であったが、第一次世界大戦開戦以降(1914 - 24年)は、ドイツ風の呼び名:ブルグが嫌われ、ロシア語風にペトログラード(Петроград)と改名され、ソビエト連邦時代(1924 - 91年)は、時の指導者のレーニンに因みレニングラード(Ленинград)と呼ばれたが、ソビエト連邦の崩壊後、1991年に現在のサンクト・ペテルブルグと戻った。 地理としては、ロシア西部にあるバルト海東部のフィンランド湾最東端に面するネヴァ川の河口デルタ(三角州)の沼地に築かれた人口の都市で、西の海を目指すピヨートル大帝が都市としての建設を始めるまでは、正しくなにもない辺鄙な田舎の漁師村でした。 そんな河口の沼地に都市を建設するということは大変な作業で、要塞や宮殿などから始まり建物の土台として多くの杭が地下に打たれ、ロシア各地から石材が運ばれ、また運河掘りも苦労を重ねた。 サンクト・ペテルブルグはモスクワの北西に位置し、直線距離で600Km(日本なら東京~函館の距離)です。 フィンランド湾に面する港は冬季の11月から4月には、凍結してしまいますが、厳寒期を除いて常に砕氷船が航路を維持しています。また、市中心部に運河が縦横に巡る美しい街並みを有することから、「北のヴェネツィア」と称されることもあります。 *第二次世界大戦では、サンクト・ペテルブルグ(当時は、レニングラード)は最大の兵器製造都市ですぐにナチス・ドイツによる侵攻を受け、900日にも及ぶ包囲作戦による飢餓や砲撃で多くの人(67万人とか)が亡くなったが、市民は持ちこたえた。 この第二次世界大戦が始まった1941年、ドイツ軍は、サンクト・ペテルブルグ南部にあるエカテリーナ宮殿内にあった多くの美術品と共に琥珀の間を解体して持ち去り、それらは戦争の騒乱で行方不明となり、未だ発見されていない。疎開場所への爆撃で消滅したらしい。 しかし、第二次世界大戦後、エカテリーナ宮殿の修復が進められ、琥珀の間に関する資料が乏しい中、24年の歳月をかけて、2003年に琥珀の間修復が終わった。 *人口:5,028,000人 (2013年) *気候:5月半ばから7月半ばの2ヶ月間は昼が長く、日の入り後、日の出前も薄明の時間が長い。その一方、冬の日照時間は非常に短い。冬の寒さは暖流の影響で内陸部やモスクワよりは温和であるが、時に-25度前後の日々が一週間程度続くことも珍しくない。年間降雪量は297cmほどと欧州の都市のなかでは多い。 高緯度なため、日照時間が増えてくる2月が最寒月である。過去最低気温は1883年の−35.9度、過去最高気温は2010年8月の37.1度である。 10月は、平均4度C.(寒い!) |
日次 | 10月 | 本日のスケジュール | |
2 | 18日 (水) |
朝食 | 07:00 サンクト・ペテルブルグのラドガ・ホテルのブュッフェ |
ホテル 発 サンクト・ペテルブルグの歴史地区観光へ |
09:30~ ホテル発 サンクト・ペテルブルグの歴史地区観光へ ◎ピョートル大帝の青銅の騎士像 ◎聖イサク寺院 ◎血の上の寺院 ◎ネフスキー大通り |
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昼食 | 12:00 ビーフストロガノフ | ||
エルミタージュ美術館観光 |
13:30~【世界遺産】 ≪エルミタージュ美術館観光≫ エルミタージュ美術館 (約3時間、本館:1時間30分、別館:30分、自由行動:1時間) |
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夕食 | 18:00 サンクト・ペテルブルグのレストランで | ||
ホテルへ | 20:30 ホテルへ | ||
サンクト・ペテルブルグ 宿泊 | サンクト・ペテルブルグのホテル:ラドガ・ホテル(連泊) |
訪 問 地 | 詳 細 | |||
サンクト・ペテルブルグ | 07:10 | *ラドガ・ホテル (Ladoga Hotel) 今日から、サンクト・ペテルブルグ(Санкт-Петербург)の観光が始まります。 昨日(2017年10月17日)、深夜に到着した、サンクト・ペテルブルグの市街から東にあるラドガ・ホテル(Ladoga Hotel)での朝です。 成田の朝から始まった昨日は、時差がマイナス6時間もあり、長い一日で、また到着が夜だったので、建物がどうなっているのか分かりませんでしたが、ラドガ・ホテルはこんな建物です。 左の写真は、別の日に撮ったもので、2017年10月18日のサンクト・ペテルブルグの朝の7時は、まだ薄暗くて、また昨日から降っている小雨は、以前として降っています。 寝たのか、寝ないのかあまりはっきりしませんが、午前2時頃からウトウトとして、朝の7時前には、いつもながらしっかりと起きています。 ツアー主催の会社:HISからのモーニングコールは、7時半とのことですが、私には不要です。 ホテルでの朝食は、7時から食べれるとのことで、もう目覚めていますから、カメラを持って、泊まっている317号室から、1階にあるレストランに行きます。 なお、HISの案内では、今日のホテル出発は、9時半です。 |
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ラドガ・ホテル | *ラドガ・ホテル ラドガ・ホテルの部屋内の様子は、昨日 紹介しましたので、今回は、廊下やエレベーターなどを紹介しましょう。 ヨーロッパでの建物では、日本の1階はグランド・フロア(G)とよばれ、2階が1階(ファースト・フロア)となりますが、ロシアの建物では、1階は日本と同じように1階です。 |
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ラドガ・ホテル | *ラドガ・ホテルからの眺め ラドガ・ホテルは、メインの通りから公園を隔てたところにあります。 ラドガ・ホテルと同様に周りの建物もかなり年代が入っています。 小雨のなか紅葉が綺麗です。 写真は、朝食後の8時40分頃撮ったもので、ようやく、明るくなってきました。 |
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ラドガ・ホテル | 07:10 | *ラドガ・ホテルでの朝食 ラドガ・ホテルの1階、入ったところにある受付の右側にあるBARの奥が、レストランです。 そこで、ビュッフェ形式(日本的にはヴァイキング形式 好きなものをとって食べる)での朝食です。 |
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ラドガ・ホテル | 07:20 | *ラドガ・ホテルでの朝食:ビュッフェ形式 ヨーグルト、果物など |
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ラドガ・ホテル | *ラドガ・ホテルでの朝食:ビュッフェ形式 何となく品数はあるように見えますが。 |
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ラドガ・ホテル | *ラドガ・ホテルでの朝食:ビュッフェ形式 内容が質素すぎる?! メインがソーセージとは。決して食欲がなくて、遠慮をしている訳ではありません。 食べたいと思えるものが無いのです。 選べるものが少なくて、食べたのは、左のような内容でした。 なお、コーヒーとオレンジ、アップルなどのジュース類は飲み放題です。 ◎味は? パンもソーセージも、特に美味いという物ではありません。 |
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ラドガ・ホテルの近辺 | 08:10 | *ラドガ・ホテルの近辺 泊まったラドガ・ホテルの同じ敷地内にある、すぐ隣の建物の1階にスーパー・マーケットが2軒入っています。 実は、成田を出てから昨夜まで、バシャ・バシャと写真を撮りまくり、ホテルでカメラ用に充電式の乾電池(単三)に充電していますが、充電に時間がかかり(宿泊時間がまだ短いせいでもあるが)、4本しか充電できていません。 そこで、電池が足りるか心配になり、サンクト・ペテルブルグで単三の電池を予備に購入することにしました。 |
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ラドガ・ホテルの近辺 | 08:20 | *ラドガ・ホテルの隣のスーパーでお買い物 ホテルのフロントに事情を話すと、ラドガ・ホテルのすぐ隣にあるスーパーの1店は朝の8時から夜の23時まで開いているとのことで、当然ロシア語は話せませんが、実物の単三電池を見せれば、大丈夫と思い買いに行きました。 これがスーパーの入口とは、普通の民家のようで、日本人には分かり難い。 扱っている品数は豊富です。棚に商品が一杯あります。 日本のハンドクリーム:NIVEAも 155ルーブル(約310円)で売っていました。 |
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ラドガ・ホテルの隣のスーパー | *ラドガ・ホテルの隣のスーパーでお買い物 スーパーでは、大きなものの売り場は分かりますが、小さな単三の乾電池は店内を探してもどこにあるのか分かりません。 そこで、レジにいる若い娘さん(朝早いせいかレジには彼女、一人しかいませんでした)に、単三の乾電池を見せて、どこにあるか(英語で)訪ねたら、分かったようで場所まで案内してくれました。 また、乾電池のついでにミネラルウォーターも大小1本づつ買いました。 値段は、ミネラルウォーター 2Lが 37.90ルーブル(約80円) ミネラルウォーター 500mlが 28.20ルーブル(約60円) 単三乾電池x4本が 199.90ルーブル(約400円) 合計 266ルーブルです。 これは、付加価値税(消費税)が 18%プラス された価格です。 なお、ミネラルウォーターには、炭酸入りと炭酸なしがありますが、ロシア語が読めないので、適当に購入しています。 ◎袋をくれない! で、品物は買えたのですが、レジでは袋をくれません。 そこで、なんとなく入れ物をくれとジュスチャーをしたら、カウンターの下から袋を取り出して、くれましたが、これは、4ルーブル(約8円)と日本と比べて高かった。 |
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*観光の前に 観光の前にHISから、無線でガイドさんの説明が聞けるイヤホンガイド機が渡されます。 これは、以前、阪急交通社のツアーに参加した時の 「耳太郎」 と同じ機能で、ガイドさんから離れていても、無線で説明を聞くことのできる便利なものです。 私のように、多くの写真を撮りたい人間にとっては、いつもガイドさんの傍にいることが少ないので、この無線イヤホンガイド機は役に立ちます。 阪急交通社の耳太郎 受発信のチャンネルも複数あって、グループごとに、別のチャンネルに切り替えることができます。 首かけ用のストライプは、ツアーが終われば、各自が持ち帰っても構いません。 なお、無くすと ¥5,400 追加で取られます。これは、ガイドさんが数回注意していましたので記載します。 |
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サンクト・ペテルブルグ観光 | 09:40 | *サンクト・ペテルブルグの観光へ 外は、小雨。気温は8度Cとかなり寒い。下には厚手のタイツを履き、上にはセーターとダウンを着て、レインコートも用意している。 出発予定時間は、9時半でしたが、寝坊の人がいたようで少し遅れて、専用バスで、いよいよ、ツアー参加者28名は、サンクト・ペテルブルグの観光へ出発です。 今日の予定は、 ◎ピヨートル大帝の青銅の騎士像 ◎聖イクサ寺院 ◎血の上の教会 ◎ネフスキー大通り ◎お土産屋 昼食:ビーフストロガノフ ◎世界遺産:エルミタージュ美術館入館鑑賞 夕食:魚料理 ラドガ・ホテルで連泊 です。 |
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サンクト・ペテルブルグ観光 | 09:40 | *サンクト・ペテルブルグの観光へ 泊まっているラドガ・ホテル前の道路は、水道管の大掛かりな工事中で、歩けず、小雨のなか公園を通ってバスが停まれる広い道路まで2分ほど歩いてバスに乗り込みます。 我々専用のバスは、大型です。席は自由で、どこに座っても構いません。 一人参加の13名は各々一人づつ座り、2名で参加されている場合は、隣り合わせて座っています。 泊まっているラドガ・ホテルは、市の中心からアレクサンドル・ネフスキー橋を渡った東にあり、これからネフスキー大通りを西に向かって行きます。 自動車は他のヨーロッパの国々と同様に、右側通行です。 |
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サンクト・ペテルブルグ観光 | 10:00 頃 |
*サンクト・ペテルブルグの観光 さすがに、世界遺産となっているサンクト・ペテルブルグの歴史地区です。 ネフスキー大通りには年代を感じる建物が多く見られます。 |
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サンクト・ペテルブルグ観光 | 10:20 頃 |
*サンクト・ペテルブルグの観光 |
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イクサ寺院 | 10:25 | *サンクト・ペテルブルグの観光 ◎聖イクサ寺院(Исаакиевский собор、Saint Isaac's Cathedral)へ到着 バスは、ロシア正教の大きな聖イクサ寺院の前に停まりますが、聖イクサ寺院の観光はあと(詳細は、明日)で、取りあえずは、公園を通ってピョートル大帝の青銅の騎士像へ向かいます。 川の側で小雨と風が冷たく、フードを被っている人もいる。 |
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10:30 | *聖イクサ寺院から大ネヴァ川に向かって歩きます。 丁度季節は、秋の終りで、公園の落ち葉が綺麗です。 |
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元老院 | *元老院 左右対称になっている元老院の建物です。 元老院は、ピョートル大帝が設置した国政の最高機関です。 |
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ピョートル大帝:青銅の騎士像 | 10:35 | *ピョートル大帝(Пётр):青銅の騎士像 元老院の建物の前のデカプリスト広場(Площадь Декабристов)に、1703年からサンクト・ペテルブルグを建設したロシアの皇帝:ピョートル大帝の青銅の騎士像があります。 作ったのは、フランスの彫刻家エティエンヌ=モーリス=ファルコネです。 ◎デカプリスト広場のうんちく:1825年、専制政治と農奴制に反対する青年貴族が蜂起した「デカブリストの乱」の舞台となった広場。 傘をさしていませんが、本当は、小雨でまた川のそば(ネヴァ川)で風も冷たく震えています。 |
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ピョートル大帝 | ◎ピョートル大帝(Пётр)のうんちく: 在位:1682年~1725年。 身長は、2m12cmもあったとか。(高っ!) ロシアをヨーロッパ列強の一員とし、スウェーデンからバルト海海域世界の覇権を奪取してバルト海交易ルートを確保。また黒海海域をロシアの影響下におくことを目標とした。 これらを達成するために治世の半ばをスウェーデンやポーランドとの大北方戦争に費やし、戦争遂行を容易にするため行政改革、海軍創設を断行。 さらに貴族に国家奉仕の義務を負わせ、正教会を国家の管理下におき、帝国における全勢力を皇帝のもとに一元化した。また歴代ツァーリ(ロシア皇帝)が進めてきた西欧化改革を強力に推進し、外国人を多く徴用して、国家体制の効率化に努めた。 1703年からネヴァ川の河口にサンクト・ペテルブルグの建設を始め、1712年にこの街に遷都し、貴族や商人たちを移住させた。 |
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ネヴァ川の向こう側 | 10:40 | *ネヴァ川の向こう側 ピョートル大帝:青銅の騎士像に面したネヴァ川の対岸には、メンシコフ宮殿や遠くにはペトロバブロウスク要塞も見えます。 |
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聖イクサ寺院 | 10:50 | *血の上の教会へ ネヴァ川の河口は小雨で、風が冷たく、またバスが停まっている聖イクサ寺院の傍まで戻り、ネヴァ川に沿ってこれから血の上の教会へ向かいます。 巨大な聖イクサ寺院の円柱 |
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サンクトペテルブルク要塞 | 11:00 | *ペトロパヴロフスク要塞(Петропа́вловская кре́пость) ネヴァ川の向こうには、今回は訪問しませんでしたが、高い塀に囲まれたペトロパヴロフスク要塞が見えます。 中央には、ペトロパヴロフスキー大聖堂があり、ピョートル大帝以降の皇帝が葬られています。 ペトロパヴロフスク要塞は、19世紀以降は、監獄として使われ、「罪と罰」で有名な作家のドストエフスキーやレーニンなど政治犯も収容されています。 現在は、造幣局で一部は観光できます。 夏場はネヴァ川の水がありますが、冬場はネヴァ川は完全に凍ってしまい、脱獄をする囚人も多くいたそうです。 |
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サンクトペテルブルク要塞 | *ペトロパヴロフスク要塞(Петропа́вловская кре́пость) 建物の形が上から見ると函館の五稜郭のような星型です。 |
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トロイッキー橋 | *トロイッキー橋(Тро́ицкий мост, Troitskiy Most) こちら側から、ネヴァ川を渡ってペトロパヴロフスク要塞(ペトログラード側)にいたる橋は、トロイッキー橋です。 この橋の設計者は、パリのエッフェル塔も建てたあのエッフェルです。 ネヴァ川にかかる橋は、多くが船が下を通れる跳ね橋(橋が開く)構造になっていてこのトロイッキー橋も今も中央が開くそうです。 また、サンクト・ペテルブルグでは多くの橋や建物は夜間は綺麗にライトアップされています。 生憎の雨で、橋がはっきりと見えませんが。 |
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血の上の救世主教会 | 11:10 | *血の上の救世主教会(血の救世主教会、Храм Спаса на Крови、スパース・ナ・クラヴィー教会 公式名は、ハリストス復活大聖堂(Собор Воскресения Христова)。 ネヴァ川沿いを北に向かって走ってきたバスは、トロイッキー橋の手前を右に曲がり、グリボエードフ運河沿いにあるロシア正教会の聖堂:血の上の救世主教会に来ました。 なんで、こんな「血の上の教会(Church on Spilt Blood)」なんて恐ろしい別の名がついているかというと、ここで、1881年に時のロシア皇帝アレクサンドル2世がテロリストに襲われて殺されたからです。 アレクサンドル2世の跡を継いだアレクサンドル3世によって、暗殺された土地の上に1883年から教会が建立されましたが、完成したのは24年も過ぎたニコライ2世の時代となった1907年です。 高さは約85m。 玉ねぎ坊主の形をした塔は、どことなく愛嬌がある。(黒柳徹子さんを連想させる?) |
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血の上の救世主教会 | *血の上の救世主教会(血の救世主教会、Храм Спаса на Крови、スパース・ナ・クラヴィー教会 教会の中には入ってはいないが内装も外装も豪華なモザイクで覆われている。外壁にはロシアの144の町や地域の紋章が描かれている。 第二次世界大戦中は粗末に扱われ野菜倉庫として使われた。 |
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血の上の救世主教会 | *血の上の救世主教会(血の救世主教会、Храм Спаса на Крови、スパース・ナ・クラヴィー教会 |
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血の上の救世主教会 | *血の上の救世主教会(血の救世主教会、Храм Спаса на Крови、スパース・ナ・クラヴィー教会 お土産屋さんには、マトリョーシカだらけ。お店の人も完全に冬の備え。 店の近くによると、買えと言われそうなので、少しばかり遠目から撮っています。 暖かそうな小さなパンは、45~65コペイカ(約100円)でした。 |
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11:30 | *近くにあるお土産屋へ 血の上の救世主教会も教会の中には入らず、また小雨で寒く、多くのツアー同行者は暖かいバスに乗ったままです。 私だけが、教会の周りの写真や街並みを撮っています。 |
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土産屋 | 11:40 | *芸術広場にあるお土産屋 ONEGIN (Онегин オネーギン) トイレ休憩も兼ねて、HISのご指定(多くの観光会社のご指定らしい)の、芸術広場にあるお土産屋 ONEGIN (オネーギン)です。 このスペルは読めますが。 この店:ONEGINの価格は高いようですが、品数は豊富です。 |
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お土産屋 | *芸術広場にあるお土産屋 ONEGIN (オネーギン) ロシアのお土産といえば、これ、マトリョーシカですが、実に大きさも価格もピンからキリまであります。 中に入っている人形の数(10個とか3個とか)と装飾の出来で値段は決まります。 出来の悪いマトリョーシカは、なかなか開けられない。 |
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お土産屋 | *芸術広場にあるお土産屋 ONEGIN (オネーギン) ロシアのお土産となると、女性にはこの卵「イースター・エッグ(Imperial Easter Egg)」も欠かせません。 イースター・エッグのうんちく:1885年から1917年まで、ロシア皇帝アレクサンドル3世とニコライ2世が妻:マリアとアレクサンドラへの結婚の贈り物などとして、金細工師のファベルジェに作らせた。 そこで、「ファベルジェの卵」とも呼ばれる。 卵を開けると中には、精巧な動物や馬車が入っており、ゼンマイ仕掛けで動く仕組みになっている。 モスクワのクレムリン宮殿 にある「イースター・エッグ」(ニコライ2世から皇后アレクサンドラへの贈り物、1906年製) ファベルジェに作らせた総数は、65個とのことで、現存数は57個。10個は モスクワ・クレムリン宮殿(武器庫) (後で訪問しています)にある。 オークションでは、1個10億円の値が付くこともあるとか。 |
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お土産屋 | *イースター・エッグ(Imperial Easter Egg) まったく、このような宝飾品には興味のない私ですが、確かにイースター・エッグの価格は高そうです。 でも、ツアーの中でもお土産として買っている女性もいました。 |
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お土産屋 | *琥珀 (Янта́рь、インターリ、Amber)もある 松ヤニや杉などの樹液が数万年という歳月をかけて石のように固まったのが琥珀です。 バルト海沿岸のポーランド、リトアニアなどの地域は琥珀の産地です。 その中でもロシアのカリーニングラードは、世界でも有数の琥珀の産地で、ロシアの琥珀はお土産としても有名です。 固まった年数が浅い茶色から年数がかかっている白い色まで、また琥珀の中に昆虫が閉じ込めらている、透明度などで、価格は変動します。 ブレスレットやネックレスまた時計として売られています。 |
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お土産屋 | *バラライカもある 他にもあるロシアのお土産。 |
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お土産屋 | *ロシアらしい防寒用帽子もある 本物の毛皮で暖かい。 背の高いロシアのお土産屋さんの店員さんと。 |
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昼食へ | 12:30 | *昼食へ 小1時間ほどいたお土産屋さんでも、タダのコーヒーを飲むだけで、特に買い物をせず、次は昼食です。 小雨の外は、かなり寒い。もう、通行人はコートを着ています。 |
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昼食 | 12:30 | *昼食 レストランの名は、チャイコフスキー Сhaykovskiy とか |
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昼食 | *昼食 レストランの名は、チャイコフスキー Сhaykovskiy ロシアの店は、看板が出ていなくて入口からでは何屋さんか分からない。 このレストラン:チャイコフスキーも建物を入って正面は、このような作りで、ガイドがいないとこのまま階段を上がってしまう。 お店は、この写真の右の入口から入ります。 店主は、蛙が好きだそうでいろいろと集めています。 |
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昼食 | *昼食 レストランの名は、チャイコフスキー Сhaykovskiy この店は、感じの良いレストランで、テーブルには日の丸の国旗があり、各自にミネラルウォーターが1本づつ、ついています。 |
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昼食 | *昼食 どうやら、初めてロシア料理を口にします。 野菜サラダです。 味は、確かに野菜です。 しかし、トマトにしても、どこか固い! スープは美味しい。 |
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昼食 | *昼食 ビーフストロガノフ メイン料理は? そうりゃ、ロシアといえば、歯の弱った貴族のストロガノフ用に食べやすくした牛肉料理の「ビーフストロガノフ」でしょう! 味は? まあまあですか。 あと、紅茶(リプトンのバッグ)かコーヒーがでました。 |
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エルミタージュ美術館へ | 12:45 | *エルミタージュ美術館へ レストラン:チャイコフスキーはどこにあるのかはっきりしませんが、この近辺も古い建物が多い地区でした。(夏の宮殿と川を挟んだ所にある?) |
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エルミタージュ美術館へ | *エルミタージュ美術館へ 午後のサンクト・ペテルブルグでの観光の目玉の世界遺産のエルミタージュ美術館の見学に出発です。 |
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エルミタージュ美術館へ | 14:00 | *聖イクサ寺院の側はよく通る。 |
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エルミタージュ美術館 | 14:05 | *エルミタージュ美術館(露: Эрмитаж エルミターシ、英: Hermitage Museum) やってきました。 ネヴァ川の側にある世界遺産エルミタージュ美術館に到着です。 ネットを調べていたら、エルミタージュ美術館の案内サイトがあった。 http://www.hermitagemuseum.org/wps/portal/hermitage/ このサイトの、「Virtual Visit」は、エルミタージュ美術館がよくわかる。 |
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エカテリーナ2世 | *エルミタージュ美術館(露: Эрмитаж エルミターシ、英: Hermitage Museum) うんちく:エルミタージュとは、フランス語のHermitageで(フランス語では最初のHは発音しない)、意味は、隠遁者、世捨て人の隠れ家となるか。 現在のエルミタージュ美術館としての建物は、廊下でつながった主に4つから構成される。 1.冬の宮殿(Зимний дворец)...本館 2.小エルミタージュ(Малый Эрмитаж) 3.旧エルミタージュ(Старый Эрмитаж)、 4.新エルミタージュ(Новый Эрмитаж)...ニコライ1世の時に建設、 他にエルミタージュ劇場も附属している。 また、2014年に近接の旧参謀本部の一部の建物を改修して、新館ができている。 美術品の収集は、ロシアの女帝であったエカテリーナ2世(在位:1762年~1796年)が1764年にドイツの商人から購入した225点に始まるとされる。(なお、最近の説では、借金の代わりだったとも。また、317の絵画だったとも) その後も、エカテリーナ2世のコレクションが増加して、保管・陳列用としていたエルミタージュも、小、旧、新と増設されていった。 その後のロシア皇帝も、ヨーロッパの貴族がオークションに出す前にまとめ買いして、どんどん増えていった。 現在の美術品の所蔵数は、約300万点とか。当然、全部は半日では見つくせない。また、貸し出している作品もある。 |
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エルミタージュ美術館 | 14:15 | *エルミタージュ美術館(露: Эрмитаж エルミターシ、英: Hermitage Museum) 入館です。 入場はこのチケット(外国人は、ロシア人より高いらしい)をバーコード・リーダーにかざして入る。入場券には、入場料の記載がない?または、ロシア語が読めない。このチケットは、新館にも入館できるタイプ。 入館にあたって、 ・飲み物の持ち込みは禁止。(ある観客が、レンブラントの絵:ダナエに硫酸をかけたのが原因) ・コートなどの預け場所(クローク)はある:無料 ・カメラ・ビデオ撮影可(ただし、フラッシュは禁止) |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館(露: Эрмитаж エルミターシ、英: Hermitage Museum) 広い! コートなどをクロークに預けて(無料)いよいよエルミタージュ美術館の見学です。 まず、最初の印象は、広い! 豪華!です。 さすがに宮殿です。 |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館(露: Эрмитаж エルミターシ、英: Hermitage Museum) ◎大使の間 正面の階段は周りの宝飾にも天井の飾りにも圧倒される「大使の間」です。 今なら、平民の私も赤い絨毯の上を登れます。 |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館(露: Эрмитаж エルミターシ、英: Hermitage Museum) |
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エルミタージュ美術館 | 14:40 | *エルミタージュ美術館(露: Эрмитаж エルミターシ、英: Hermitage Museum) 元は宮殿だったことがこの豪華さで、はっきりと分かります。 天井にも豪華な絵が描かれている。 これから、絵画を中心に見ていきます。 |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館 玉座の間 |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館 特別展示として、昔の貴族の衣装が展示されていました。 |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館 黄金の客間 |
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エルミタージュ美術館 | 15:05 | *エルミタージュ美術館 ◎孔雀の時計 エカテリーナ2世の愛人:ポチョムキンから18世紀後半に贈られたイギリス製の黄金の孔雀のからくり時計。いまも動く。 中央には孔雀、左右には鶏とフクロウがいる。また、足元にも小さな細工がある。 |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館 孔雀の間のモザイクも美しい。 なお、孔雀時計が動く時間などは公開されていなくて、時計が動く時間に行った人は、全く幸運です。 |
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エルミタージュ美術館 | 15:20 | *エルミタージュ美術館 ◎イタリア・ルネサンス期 ←レオナルド・ダ・ヴィンチ 「リッタの聖母」(1490-1491年) ↓レオナルド・ダ・ヴィンチ 「ブノアの聖母」(1478年) |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館 ←ラファエロ 「ネスタビレの聖母」(1504年) ↓ラファエロ 「聖家族」(1506年) |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館 ←ティツィアーノ 「ダナエ」( 1553 - 1554年頃) 「ダナエ または、ダナエー」とは、ギリシャ神話に登場する英雄ペルセウスの母親。黄金に変身したオリンポスの神:ゼウスと交わう。レンブラントなど多くの画家が題材にしている。 ↓ティツィアーノ 「懺悔するマグダラのマリア 」(1565年) |
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エルミタージュ美術館 | 15:30 | *エルミタージュ美術館 もう絵画が一杯あって誰の作品か分からなくなる。 |
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エルミタージュ美術館 | 15:50 | *エルミタージュ美術館 ←光の魔術師:レンブラント 「 放蕩息子の帰還 」(1663 - 1665年) 本当に光の当て方が上手い。 ↓レンブラント 「ダナエ」 (1636 - 1647年頃) 1985年に観客が絵の中央に硫酸をかけ、股間に2回切付けたのがこの絵。 ダナエの顔や髪などかなり修復をした(~1997年)が、ベッドの下の方にはまだ絵の具の解けた跡が残っている。 |
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エルミタージュ美術館 | *エルミタージュ美術館 ← エル・グレコ 「使徒ペトロとパウロ 」(1587 - 1592年) エル・グレコの絵は、スペインのプラド美術館 にも多くある。 これらの他にも、エルミタージュ美術館には、有名な作品としては、カラヴァッジオ『リュートを弾く若者』、ベラスケス 『昼食』、ゴヤ『アントニア・サラテの肖像』などもあるようですが、どこかへか貸し出しているようで、今日はありませんでした。 |
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エルミタージュ美術館 | 16:40 | *エルミタージュ美術館 別館:新館へ (宮殿広場にある円柱は、ナポレオンとの闘いに勝ったアレクサンドル1世。高さは、48m。1枚岩からできている。) 本館では、自由時間を入れて約2時間半の見学ですが、余りの広さと、天井の絵まで観ているので疲れます。 次に、19世紀から20世紀のルノワール、セザンヌ、モネ、ゴッホなどの絵画は、隣にある、別の建物:元は軍の参謀本部の東館に展示されていますので、一度宮殿広場に出ます。 大分、暗くなってきた。 |
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エルミタージュ美術館 新館 |
16:45 | *エルミタージュ美術館 新館 旧参謀本部の一翼にできたエルミタージュ美術館 新館は改装が終わったばかりのようで、まだ展示物が少なく、1階から3階のほとんどの部屋は空です。 19世紀から20世紀のルノワール、モネ、ゴッホ、ピカソなどヨーロッパ美術品は、4階に展示されています。 新館は、空いています。 まずは、コートを預けます。 |
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エルミタージュ美術館 新館 | *エルミタージュ美術館 新館 ←ルノワール 「ジャンヌ・サマリーの肖像」(1878年) ↓ルノワール 「小さな鞭を持った少年」(1909年) |
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エルミタージュ美術館 新館 | *エルミタージュ美術館 新館 ←モネ 「庭の女」 (1867年) ← この絵、かなり印象的です! |
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エルミタージュ美術館 新館 | *エルミタージュ美術館 新館 ←ゴッホ 「夜の白い家 」(1890年) 同じような構図ですね。 |
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エルミタージュ美術館 新館 | *エルミタージュ美術館 新館 ←ゴーギャン 「果実を持つ女」(1893年) タヒチにて ↓ ゴーギャン 「カヌー」(1896年) |
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エルミタージュ美術館 新館 | *エルミタージュ美術館 新館 |
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エルミタージュ美術館 新館 | *エルミタージュ美術館 新館 ← ピカソ 「友情」 ↓ ピカソ 「Benet Socker の肖像」 ピカソの絵の変わりようが分かります。 |
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夕食へ | 17:50 | *エルミタージュ美術館 新館 ◎ 鑑賞終了 夕食へ 新館での鑑賞は、約1時間です。 2時過ぎから始まった、エルミタージュ美術館 本館・新館の絵画や装飾品の鑑賞には、約3時間半かけていますが、さすがに全部の詳細まではお伝え出来ません。 このほか、展示としては、東洋やエジプト文化に関するものもあるそうです。 マニアの人は、4,5日かけてエルミタージュ美術館を訪れているようです。 ほぼ半日、休まずに歩き回り、写真を撮りまくったので、お腹がすきました。 外はかなり暗くなっています。 これから、夕食へ行きます。 トラムとかトロリー・バスは多く走っています。 |
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夕食 | 18;10 | *夕食 レストラン マーシャと熊 (Маша и Медведь、 マーシャ・イ・メドベード 英語:Masha and the Bear) ネフスキー大通りを入ったマーラヤ・サドーヴァ通りにあります。 お土産屋の「オネーギン」とは、近くです。 「マーシャと熊」とは、ロシアの民話があるようで、ここサンクト・ペテルブルグでもかなり有名なレストランのようです。 |
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レストラン マーシャと熊 | 18:15 | *レストラン マーシャと熊 看板の熊です。 熊の隣は、人間です。念のため。 |
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レストラン マーシャと熊 | *レストラン マーシャと熊 サラダです。シンプルです。 |
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レストラン マーシャと熊 | *レストラン マーシャと熊 メインは、白身魚とジャガイモです。 白身の魚はほとんどなく、ジャガイモばかりの酷い料理でした。 |
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レストラン マーシャと熊 | *レストラン マーシャと熊 一応、デザートも出ますが、パットしない味です。 |
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ホテルへ帰る | 19:20 | *ホテルへ帰る 酷い内容の夕食も終わり、これからネフスキー大通りを東に走り、アレクサンドル・ネフスキー橋を渡って、ラドガ・ホテルに戻ります。 ネフスキー大通りに面した古い建物は、全部ライト・アップされていて綺麗です。観光都市:サンクト・ペテルブルグです。 、 |
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ホテル近辺 | 19:30 | *ホテル近辺を散策 スーパーへ まだ寝るには早いので、泊まったラドガ・ホテルの近くをブラブラです。 ホテルのそばにある2つのスーパーの内、朝に行ったスーパーの隣にあるやや大きめのスーパーにアイスクリームを買いに行きました。 1000mlのヴァニラ・アイスクリームは、185ルーブル(約370円)と廉い? 巨大な瓜のようなものがある。 44ルーブル(約90円)とありますが? ブドウや青りんご、レモンと品数は豊富です。 |
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地下鉄駅へ | 20:30 | *ホテル近辺を散策 地下鉄駅へ ここサンクト・ペテルブルグでの地下鉄は5路線、全67駅があります。 泊まったラドガ・ホテルから4号線(プラボベレズナヤ線)のノヴォチェルカッスカヤ駅(Новочеркасская)まで徒歩で4、5分です。 |
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地下鉄駅 | 20:40 | *地下鉄駅 ノヴォチェルカッスカヤ駅(Новочеркасская) ロシアの地下鉄は、東西冷戦の影響で、核戦争に備えたせいで地下深くにあるので有名です。 入口と出口が完全に分かれていて、入る時だけ、コイン(1回きり)かカード(複数回使える)を買います。 |
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地下鉄駅 | *ノヴォチェルカッスカヤ駅(Новочеркасская) 券売機には、英語(イギリス国旗で表示)表示もある。 1回使用は、45ルーブルで(約90円)で全線統一で使用できます。 このコインを改札機に入れると、バーが開いて、地下に行ける。 |
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地下鉄駅 | 20:45 | *ノヴォチェルカッスカヤ駅(Новочеркасская) 私は、地下鉄の入口までは、行きましたが、地下鉄には乗っていません。 なお、これから行く、モスクワでは、地下鉄乗車体験をしてます。 ツアーでご一緒した若い人は、コインを買って、西の繁華街のネフスキー・プラスペクト駅まで行きました。 ◎サンクト・ペテルブルグの駅のホームでは、ステンド・グラスなどの飾りがあって綺麗とのことでした。 |
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ラドガ・ホテル | 21:00 | * お休み ラドガ・ホテル Ladoga Hotel 昨夜から泊まっています、サンクト・ペテルブルグの市街から東のアレクサンドル・ネフスキー橋を渡ったところにある ラドガ・ホテルに連泊です。 お休みなさい! ラドガ・ホテルの詳細は、昨日 を参照してください。 |
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◎ 2017年10月18日は終わり。 サンクト・ペテルブルグ 2日目 | ||||
◎2017年10月18日(水):サンクト・ペテルブルグ 第二日目 雑感 *ミネラルウォーターの2Lは不要だった! ホテルの水道水が汚くて、飲むのにも歯を磨くのにも使用できないと思って、朝からスーパーでミネラルウォーターを2Lも買ったが、これは不要だった。 というのは、バスに乗ると500mlのペットボトルを1本くれるし、レストランでも1本くれたからだ。 夏と異なり、そんなに喉が渇くこともなく、500mlのペットボトルは、1日では飲みきれず、ミネラルウォーターが入ったペット・ボトルは溜まっていった。 *サンクト・ペテルブルグの発音 日本語の発音とカタカナ表示では、サンクト・ペテルブルグとなっているが、現地での発音を聞くと サンクト・ピチルブルグ で、”テ”よりも”チ”が近いようだ。 *ドストエフスキーの「罪と罰」 ロシアの文豪と言えば、ドストエフスキー(1821年~1881年)で、彼の長編作の「罪と罰」(1866年)は、ここサンクト・ペテルブルグを舞台にしている。 私も読んだことがあるが、ダラダラとした内容でへキヘキしただけの記憶しかない。 また、誰のロシア監督か名は忘れたが白黒の長編映画もあり、これも観たがダラダラと暗いという感じで、私の中の作家:ドストエフスキーの評価は低い。 *歴史やうんちくを調べていると時間がかかる! 外国を旅し、このホーム・ページのような旅行記を作成していると、ロシアの歴史、サンクト・ペテルブルグの歴史も調べるし、今回は、エルミタージュ美術館にある有名な絵画も確認していたら、その数が多くて実に時間がかかった。 *酒は、夜の11時から朝10時は売っていない。 私は酒は飲まないので、ロシアの有名な酒のウオッカも買う気がなかったが、ツアーの人で、到着した昨日の夜、早速ホテルの側のスーパーにウオッカを買いに行ったが、スーパーでは、夜の11時から朝の10時までは、酒の販売が禁止されていて買えなかったとのこと。 ロシアでは酒が原因のトラブルが多発して、このような酒の販売禁止になったとのこと。なお、酒の販売禁止時間は、地方により異なっているようだ。 *エルミタージュ美術館の写真は多い! その収集品の数が300万点と言われるエルミタージュ美術館では、フラッシュ使用での撮影は禁止されているが、他の美術館のような、有名な絵画の写真撮影は禁止されていない。 そこで、ダ・ヴインチ、ラファエロ、レンブラント、ルノアール、ゴーギャン等の絵を撮りまくったが、これらを、ホーム・ページに載せるための編集に時間がかかった。 また、エルミタージュ美術館では、その広さと、天井も観たりで、歩き疲れた。 *世界の有名美術館は観た? 過去のヨーロッパを旅して、有名な博物館や美術館は観た。 ・イギリスの大英博物館 ・フランスのルーヴル美術館 ・スペインのプラド美術館 はネットに載せているが、他にもアメリカ旅行では、メトロポリタン美術館 も訪れている。 これらのなかでも、今回のロシアのエルミタージュ美術館の所蔵品は、素晴らしいものだと言える。 *ガイド:オリガさん(女性)はよく知っている。 我々の今回の現地でのガイドは、オリガさんという女性です。 実に流暢な日本語を話します。 また、仕事上当然と言えば当然ですが、エルミタージュ美術館の多くの美術品についても勉強をしています。 オリガさんは、日本にも来たことがあるようです。 *大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう) エカテリーナ2世を調べていたら、江戸時代(1782年)に海で遭難し、カムチャツカに漂着した伊勢の船頭の大黒屋 光太夫(だいこくや こうだゆう)の話がでてきた。 大黒屋 光太夫は、苦労してロシア語を覚え、ロシアの東の果てのカムチャツカから西の首都:サンクト・ペテルブルグまで行って、時のエカテリーナ2世と会い、日本への帰国が認められた。彼は、1792年、根室に戻った。 大黒屋 光太夫をモデルに井上靖が「おろしや国酔夢譚」を書いている。 *エルミタージュとは フランス語の「隠れ家」の意味を持つ「エルミタージュ(Hermitage)」は、エカテリーナ2世が煩わしい政務から逃れる意味あいも兼ねて名付けたようだが、夫であったピョートルは性的不能者だったせいか、この家にはエカテリーナ2世の愛人が多く出入りをしていて、彼女は父親不明の子供を多く生んでいる。 孔雀の時計をエカテリーナ2世に贈ったプーシキンも彼女の愛人の一人で、エルミタージュは、まさに、隠れ家だ。 *写真が多い! 今回のエルミタージュ美術館では、写真撮影が禁止されていないので、多くの絵画を撮影した。 有名な絵は調べて載せたけど、あまり有名でない絵は、誰の作品か分からなくなった。 *ロシア民話 「マーシャと熊」 酷い夕食をとったレストランの名前となったロシアの民話「マーシャと熊」のあらすじ。 「森にイチゴを摘みに行ったマーシャは迷子になって、大きな熊に捕まり熊の家に閉じ込められるが、ある日熊をだまして、村に無事かえれましたとさ。めでたし、めでたし。」 |