ロシア   6日間の旅行記

期間: 2017年(平成29年) 10月17日(火) ~ 10月22日(日) 

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第3日目: 2017年(平成29年)  10月19日(木) 

ロシアの サンクト・ペテルブルグ観光(2)


     
日次 10月 本日のスケジュール
19日
(木)
朝食 07:00 New
サンクト・ペテルブルグのラドガ・ホテルのレストランで、ビュッフェ
ホテル 発 09:00 バスでプーシキン へ (30Km,約45分)
エカテリーナ宮殿観光
  (約2時間)
10:30~【世界遺産】 ≪エカテリーナ宮殿観光≫
 エカテリーナ宮殿
  
エカテリーナ宮殿 発 12:30 プーシキンからパブロフスク へ
昼食 12:50 New
 市内のレストランでキエフ風カツレツ
レストラン 発 14:20 パブロフスク宮殿へ (10Km)
パブロフスク宮殿 観光
  (約2時間)
14:30~ 【世界遺産】 ≪パブロフスク宮殿観光≫
パブロフスク宮殿
パブロフスク宮殿 発 16:20 サンクト・ペテルブルグ へ戻る。(40km、約1持間)
聖イサク寺院 着  17:10 聖イサク寺院
聖イサク寺院 発  17;30 夕食へ
夕食 17:35 New
 レストランで水餃子
レストラン発   18:50 ラドガ・ホテルへ
サンクト・ペテルブルグ 宿泊 New
昨夜から泊まっているサンクト・ペテルブルグのラドガ・ホテル 連泊。


訪  問  地 詳    細
サンクト・ペテルブルグ 06:45 *起床 サンクト・ペテルブルグ:ラドガ・ホテル (Ladoga Hotel)

 2017年10月19日(木)のロシアはサンクト・ペテルブルグのラドガ・ホテルでの朝です。

 今日でロシアで最初に訪れている街:サンクト・ペテルブルグは、3日目で、本日の予定は、9時にホテルを出て、サンクト・ペテルブルグの南にあるエカテリーナ宮殿とパブロフスク宮殿を観ます。

 起きた朝7時前は、まだ薄暗く、今日も天気は曇です。

 外はかなり寒く、風も冷たい。気温は0度Cに近いようです。


 
ラドガ・ホテル 07:10 *朝食

 参加しているツアー主催会社:HISのモーニングコールは、7時30分ですが、もう7時から朝食は、昨日 と同じように、食べられますから、7時過ぎにラドガ・ホテル 1階にあるレストランで、ビュッフェ形式の朝食です。

 昨日と同じようなメニューで、ソーセージやハムが中心で、特にこれを食べたいという物がありません。

 味も単調です。

 コーヒーとジュースも飲み放題で、朝は水気をとります。

 枕銭として、前回の海外旅行で余った1ドル(アメリカの)を置きます。  
 今日の服装も、下は厚手のタイツ、上は長袖タートル肌着、セーター、ダウンのベスト、レイン・ウエア、それに使い捨てカイロもポケットに入れている。手袋も。当然、傘も用意している。
ラドガ・ホテル   09:05 *サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へ

 ラドガ・ホテルの前の道路は、大規模な水道工事が長期に渡って行われていて、ホテル前にバスが停められませんから、2分ほど公園を歩いて、通りに停まっているバスまで行きます。

 空は曇。寒い!

エカテリーナ宮殿へ    09:20 *サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へ

 ロシアの自動車は、右側通行です。
 しかし、交差点では左折ができない箇所もあり、随分と道をまっすぐ走り、ユータンしています。

 サンクト・ペテルブルグでは、バスも多く走っています。
エカテリーナ宮殿へ   09:25  *サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へ

 ネヴァ川にかかるアレクサンドル・ネフスキー橋の名前の基になった、アレクサンドル・ネフスキー修道院です。

 
エカテリーナ宮殿へ   09:27 *サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へ

 アレクサンドル・ネフスキー修道院の向かい側には、ネフスキー大通りを挟んで横に長い、巨大なホテル:モスクワ(Moscow Hotel)があります。
 部屋数:735

 このモスクワ・ホテルでは、大きさのわりには、エレベーターが2基しかなく、かなり歩かされる部屋がおおいとのこと 。
 地下鉄アレクサンドル・ネフスキー広場駅から50m。

 
 
エカテリーナ宮殿へ   09:32  *サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へ

 ここサンクト・ペテルブルグでも、2018年のサッカー、FIFAワールドカップ ロシア大会が6月から開催され、それに伴って、今は亡くなった日本の黒川紀章が最後に設計した新しい競技場(新ゼニト・スタジアム、収容人数:69,500人)も、クレストフスキー島に2017年2月に完成し、サッカーのワールド大会開催に向かって街もあちらこちらで工事が進んでいるようです。

 
エカテリーナ宮殿へ   09:46 *サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へ

 サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へと南へ伸びているモスクワ大通り(モスコフスキー大通り)は、ほとんど直線でまた、広い。片側4車線もある。

 しかし、反対車線(市街へ向かう)は、かなり渋滞していた。

  
道の真ん中に戦勝記念か? ロシアとオスマン・トルコの闘いでの凱旋門だとか。大きい!
エカテリーナ宮殿へ   10:02 *サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へ

 ◎モスクワ広場とレーニン像
   ロシア革命を起こし社会主義国家、ソビエト連邦での指導者:レーニンも現在では評判が悪く、ロシア各地にあったレーニン像も殆ど壊されたが、ここには残っている。でも、サンクト・ペテルブルグでも1つだけ残った? 
エカテリーナ宮殿へ   10:05 *サンクト・ペテルブルグからエカテリーナ宮殿へ

 ◎このモスクワ大通りからエカテリーナ宮殿までには、ナチス・ドイツの包囲から街を守った市民英雄の記念碑、エジプト門などいろいろな記念物がある。

  青空が見れる時もありましたが、ほとんど曇空です。
エカテリーナ宮殿   10:30 *エカテリーナ宮殿 (Екатерининский дворец 英語:キャサリン宮殿 Catherine Palace) 着

 サンクト・ペテルブルグの中心から約40Km南にある、プーシキン(ツァールスコエ・セロー 皇帝の村 Tsarskoye Selo)にあるエカテリーナ宮殿に到着です。

 普通ならホテルからでも1時間程度で来る場所ですが、途中交通渋滞もあり、1時間半かかっています。

 エカテリーナ宮殿は、正面の木がある公園の向こうです。
 バスは、道路標識のように直進が禁止されていて手前で降ります。
    
エカテリーナ1世     *エカテリーナ宮殿 

 ピョートル大帝の后でありピョートル大帝の死後、皇帝となったエカテリーナ1世(在位:1725年~1727年)の為に1724年に建設が開始されたのに由来する。夏の避暑地用の離宮。

 その後増築もされ、第6代ロシア皇帝となったエリザベータ(在位:1741年 -1762年)により、4年の歳月をかけて、1752年に現在の全長325mの宮殿が完成した。

 だが、第二次世界大戦でドイツ軍の侵攻によりエカテリーナ宮殿は破壊、略奪される。
 特に、エカテリーナ宮殿で有名だった壁が全部琥珀でできていた「琥珀の間」は、ドイツ軍によって解体され持ち出され今も行方不明となっている。戦争で消滅したらしい。

 第二次世界大戦後、宮殿の修復が開始され、「琥珀の間」も2003年に復元された。

  (この写真のエカテリーナ1世の左手の位置、おかしくない?)

エカテリーナ宮殿   10:30 *エカテリーナ宮殿 

 *エカテリーナ宮殿に近づくと、楽隊がやってきて、我々が日本人だと分かると日本の音楽を演奏してくれます。熱心に聞いていると、チップを要求されそうで、曲名は忘れましたが。

 後から来た中国の観光客には、中国の曲を演奏していました。

   
 公園にあるのは、近代ロシア文学界に貢献した詩人・作家のアレクサンドル・プーシキン(1799-1837年)の像。

 彼は、このツァールスコエ・セローにあるリツェイ(学習院)で勉強した。
エカテリーナ宮殿   10:32 *エカテリーナ宮殿 

 エカテリーナ宮殿の特徴のある青い塗装です。

 でも、すぐには、入れない!
  
  団体客は個人客より優先して入場ができるようですが、前の団体が館内に入るまで、5、6分ぐらい待たされます。  また、入口が狭い!
エカテリーナ宮殿    10:37 エカテリーナ宮殿 (英語名:the Catherine Palace)


 入場です。でも、左右に長い(325m)エカテリーナ宮殿の全体は、カメラに収まりません。
 
エカテリーナ宮殿    10:40 *エカテリーナ宮殿

 
エカテリーナ宮殿    10:41 *エカテリーナ宮殿

 建物を必死に支えています。
エカテリーナ宮殿    10:44 *エカテリーナ宮殿

 入館

 クロークにコートを預け(無料です)、床を汚さないように、使い捨ての靴袋をくれますから、これで靴を覆います。
 
エカテリーナ宮殿      *エカテリーナ宮殿

 では、上へあがっていきましょう。

 なお、「琥珀の間」を除いて、フラッシュを使用しない写真・ビデオ撮影は可能です。

 
 
エカテリーナ宮殿      *エカテリーナ宮殿

 階段を上がると、起きているキューピッド(目覚める天使)と反対側には、寝ているキューピッド(眠れる天使)に迎い入れられます。

 
エカテリーナ宮殿    11:00 *エカテリーナ宮殿 

 まさしく、まばゆい金色に飾られた大広間。

 床だけでなく、

 
エカテリーナ宮殿      *エカテリーナ宮殿

 天井も全部が凄い!

   
 左右の青いのは暖炉です。
エカテリーナ宮殿      *エカテリーナ宮殿

 ロシア貴族の服装をした人と一緒に撮影ができる。チップは払う?
   
日本人でカムチャツカに遭難した大黒屋光太夫は、カムチャツカからサンクト・ペテルブルグのこのエカテリーナ宮殿にきて、1791年、大広間でエカテリーナ二世に拝謁し、帰国が認められたようだ。
エカテリーナ宮殿      *エカテリーナ宮殿

 当時の食卓や、著名な訪問客の写真など地味な展示もあります。

 
エカテリーナ宮殿      *エカテリーナ宮殿

 ← 東洋的な顔をした皇后もいます。

 エカテリーナ二世の額縁も豪華なこと!
 
エカテリーナ宮殿     *エカテリーナ宮殿

 琥珀の間 ( Янтарная комната、 ヤンタールナヤ・コームナタ、英語:The Amber Room)

 もとは、プロイセンの王:フリードリヒ・ヴルヘルム1世が1716年、初代ロシア皇帝:ピョートル大帝に贈ったもの。
 その後、改装を重ね、1770年のエカテリーナ二世の時代に完成されたとされます。

 しかし、第二次世界大戦で西洋の美術品をドイツに集めることを指示したヒトラーのナチス・ドイツ軍によって1941年に解体され東プロイセンの首都ケーニヒスベルグへと持ち去られ、全部戦火で消滅したとされる。

 元の「琥珀の間」には、6トン、10万個の琥珀が集められており、1979年から開始された部屋の再現は、過去の記録も少なくて、2003年に、8トンの琥珀と延べ25,000人が24年もかけてどうにか終わりました。ロシアの職人達の苦労の成果です。


 ここは、他の部屋と異なり写真撮影が禁止されていますので、ネットから借用した物です。

エカテリーナ宮殿     *エカテリーナ宮殿

琥珀の間 ( Янтарная комната、 ヤンタールナヤ・コームナタ、英語:The Amber Room)


 琥珀の額縁に絵画が入るという豪華なもの。

 王冠も琥珀製。

   
エカテリーナ宮殿      *エカテリーナ宮殿


 
エカテリーナ宮殿 11:20 *エカテリーナ宮殿
 他にも、絵画の間、緑の食堂、青の客間などもある。
 
エカテリーナ宮殿     *エカテリーナ宮殿

 
 
エカテリーナ宮殿     *エカテリーナ宮殿

エカテリーナ宮殿   11:50 *エカテリーナ宮殿

 まばゆい黄金色を堪能して、エカテリーナ宮殿の見学は終わりです。

 宮殿内にある出口に近いお土産屋さんでは、琥珀のネックレスが多く売られています。私は買っていませんが、こちらの方が市内のお土産屋「オネーギン ONEGIN」よりも安いとの情報がありました。

 
 クロークの前は、もう多くの人で大混雑です。

 我々は、少し早めに入場できたので、見学は楽でした。
エカテリーナ宮殿   12:20 *エカテリーナ宮殿
 
 エカテリーナ宮殿内部の見学は終わりましたので、また外に出ました。
 
 中庭では、こんなに多くの個人客が入場を待っています。入場制限もあるので、遅くなると入れない場合もあるとか。

 
エカテリーナ宮殿   *エカテリーナ宮殿

 エカテリーナ宮殿の裏庭もまた隣にあるエカテリーナ公園もキャメロン・ギャラリーとか水差しを持った少女の像とかいろいろな見どころがあるそうです。
エカテリーナ宮殿   12:30 *エカテリーナ宮殿

 帰りは、エカテリーナ宮殿の裏側を通ります。

 
 見事に修復したものです。
エカテリーナ宮殿     *エカテリーナ宮殿

 バスは近くに止められませんから、屋台のお土産屋さんと右がプーシキンも学んだという学習院の間を歩いて帰ります。

 
 公園の銀杏の木々もエカテリーナ宮殿の黄金色に負けない色合いを出していました。
昼食へ   12:35 *昼食へ

 エカテリーナ宮殿を後にして、次はパブロフスク宮殿に向かいます。
その前に、昼食です。

*ロシアの住宅事情
 基本的に都市生活者の住居は、アパートですが、ソ連の時代には、郊外に戸建の家をくれたので、この近辺には戸建てもあります。
 
昼食へ    12:45 *ロシアの住宅事情

 現代的な感じの住宅が売りに出されています。

 個人が住宅を持てるようになったのは、1991年からです。
都市部では、新しくビルを建てられないのでアパート(マンション)は、古いビルの内部を改装しているとのこと。
 賃貸にしろ分譲にしろ、ロシアの平均収入からいったら、かなり高いらしい。
昼食   12:50  *昼食

 これまた洒落た感じの建物のレストラン「UNO Cafe」で、昼食です。
昼食     *昼食

 まずは、野菜サラダから。

 ドレッシングがかかっていなくて、味が淡泊です。

 ミネラルウォーターは、大きなペット・ボトルが、2,3人用に置かれています。
 
昼食     *昼食

 コケモモのジュースを飲む。 150ルーブル(約300円)

 ロシアでは、寒い地に育つコケモモの実が有名で、そのジュースはレストランでは別料金で注文できます。

 味は、レストランごとに違っているようで、ここ「UNO Cafe」のコケモモ・ジュースは、酸味はありますが、砂糖も加えられていて、さっぱりした甘さがありました。嫌いではない味です。

  コケモモはジャムとして、壜詰もあります。
昼食   13:08 *昼食

 スープを2杯飲んだ。
 私は、テーブルの一番端に座っていますので、大きなポットに入ったスープがきたので、取りあえず自分のカップに取り分けていたところ、ウエイトレスさんがきて、そのスープが入ったポットを回収に来ました。どうやら、別のグループと間違えて出したようです。
 そこで、既に取り分けた私のカップも返そうとしたら、飲んでいいとのことで、トマト味のスープも飲みました。

 また、当然(?)正しいスープ(かぼちゃ味)も頂きました。

 
 2杯とも結構なお味で、満足です。
昼食     *昼食

 メインは、キエフ風カツレツです。

 鶏肉を巻いて、パン粉をまぶし油で揚げたものです。

 切ると中から鶏汁とバター汁がでます。

 味が物足りません。ソースが欲しい。

 添えてあるのは、お米ですが、これも美味くありません。食べ残しました。


 
パブロフスク宮殿へ   14:15 *パブロフスク宮殿へ

 昼食も終わり、次は、近くにあるパブロフスク宮殿へ行きます。

 ◎自動車について

     日本のトヨタ製はよく見ます。それと、韓国車も。
パブロフスク宮殿   14:30 *パブロフスク宮殿 (Павловский дворец、英語:Pavlovsk Palace)

 昼食をとった「UNO Cafe」から10分も走らないうちに、パブロフスク宮殿へ着きました。

 ◎パブロフスク宮殿のうんちく:
 1777年に女帝:エカテリーナ二世が、息子のパーヴェル皇太子に子供が生まれたことを祝ってこの地を与え、1779年頃からチャールズ・キャメロンの手によって宮殿の建設が始まり、1786年に完成した。
 エカテリーナ二世の跡を継いだバーヴェル1世の死後、妃:マリア・フョードロヴナの好みで内装や飾りができたとされる。

 プーシキン(ツァールスコエ・セロー 皇帝の村)から約4km南にある。
 
 ロシア皇帝の夏の離宮の一つ。

    宮廷とバーヴェル1世像
 
パブロフスク宮殿   14:50 *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 入るには、また靴カバーで靴を覆います。

 
パブロフスク宮殿   *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 入口は、エジプトの間

 天井には、だまし絵(奥行きを深く見せている)と豪華なシャンデリア
パブロフスク宮殿   *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace) 

 2階は、イタリアの間からギリシャの間。書斎、寝室などへ続きます。
 
パブロフスク宮殿  15:00 *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 
パブロフスク宮殿   *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 
パブロフスク宮殿  15:20 *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 ← 豪華な18世紀のフランス製の飾りベッド
 
 ピアノもある。
パブロフスク宮殿   *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 絵画もある。
パブロフスク宮殿   *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

パブロフスク宮殿   *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 大広間

 
パブロフスク宮殿   *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)
 宮殿内の教会
 
パブロフスク宮殿 *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)
ここの有名な、だまし絵です。 左から見ても、正面から見ても、右から見ても天使の矢はあなたを狙っています。

  
パブロフスク宮殿 15:45 *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)
 
お土産には、エースター・エッグもマトリョーシカもある。


 値段は、700(1、400円)~350(700円)ルーブルとある。
パブロフスク宮殿   *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 外に出てきました。落ち葉が美しい。 また、小雨で寒い。
パブロフスク宮殿 16;00  *パブロフスク宮殿( Павловский дворец Источник 英語:Pavlovsk Palace)

 バスへ戻ります。 屋台も馬車も何となく寒くて元気がない。
夕食へ 16:15 *夕食へ
 また朝来た道をサンクト・ペテルブルグの市街へ戻り、聖イサク大聖堂の側にあるレストランで夕食です。

 
聖イサク大聖堂 17:10 *聖イサク大聖堂 (Исаакиевский собор、英語:Saint Isaac's Cathedral)

 ◎聖イサク(イサアク、又はイサーク)大聖堂のうんちく:
  ロシア正教会の大聖堂。ピョートル大帝の守護聖人、聖イサクに由来する。

 現在の建物の建築は、1819年から始まり40年後の1858年に完成した。

 高さ:101.5m、左右:97.6m、奥行き:111.3m、収容人員14,000人。

 軟弱な川のデルタ地帯での建設は、困難を極め、杭や敷石の土台つくりだけで5年もかかる。

 共産主義が支配したソ連邦の時代(ロシア革命:1917年~)には、ロシア正教も弾圧を受け、多くの教会は閉鎖され、その財産も没収された。
 今日のロシアでもロシア正教会は、国教ではない。
聖イサク大聖堂 17:15 *聖イサク大聖堂 (Исаакиевский собор、英語:Saint Isaac's Cathedral)

 しかし、大きな聖堂だ!

 サンクト・ペテルブルグの街のどこからでも、聖堂の丸屋根は見える。

 また、逆に聖イサク大聖堂の展望回廊から、サンクト・ペテルブルグの街並みが見られる。

 残念ながら、この聖イサク大聖堂の内部には入っていませんが、内部はモザイクの壁画があり、絵画もきれいらしい。
聖イサク大聖堂 *聖イサク大聖堂 (Исаакиевский собор、英語:Saint Isaac's Cathedral)

 近くにあった公衆電話。
 
聖イサク大聖堂 *聖イサク大聖堂の近辺

 この聖イサク大聖堂の近辺には、古い建物を利用した「アストリア」や「フォー・シーズンズ」など最高級のホテルがある。
夕食へ 17:30 *夕食へ

 聖イサク大聖堂の側、「フォー・シーズンズ・ホテル」の側にあるレストランで夕食です。

 *ロシアの店は看板が出ていなくて、何屋か分からない!
 多分現地の人ならお土産屋とかレストランとか分かるのでしょうが、私たちには、ガイドがいないとどんな店か分かりません。

夕食   *夕食
 前菜はサラダです。 ペット・ボトルが各自1本付いています。
 
 でも、味が(ロシアでは、ドレッシングを使用しないのか?)
夕食    18:00 *夕食

 メインは、水餃子です。 このままで食べていますが、酢醤油とか、カラシが必要です。

 デザートもでますが。
ホテルへ   18:50  *ホテルへ帰る

 ライト・アップされた聖イサク大聖堂やフォー・シーズンズ・ホテルを後にして、今日の宿舎:ラドガ・ホテルへ帰ります。
   
 今夜は、HISではオプショナル・ツアーとしてバレーの「白鳥の湖」鑑賞が組み込まれていて、参加者(6名)とは、ここで別行動です。

ホテルへ   19:00 *ホテルへ帰る
      *就寝

 10月17日(火)から連泊しているサンクト・ペテルブルグの市街から東にある、ラドガ・ホテルへ帰ってきました。(ラドガ・ホテルの詳細は、10月17日 や 18日 を参考にしてください。)


 もう、ラドガ・ホテルの近辺もウロチョロして、スーパーでの買い物もありませんから、寝ます。

 なお、部屋は暖房が入っていて乾燥していますので、注意してください。
◎ 2017年10月19日は終わり。 サンクト・ペテルブルグ 3日目
 ◎2017年10月19日(木):サンクト・ペテルブルグ 第三日目 雑感

 *エカテリーナ宮殿のまばゆさ
  今日の午前中に訪れたエカテリーナ宮殿は、第二次世界大戦でドイツ軍によって、かなり破壊されたようだけど、本当に眩いばかりに復元されていて、見どころも多い。
  特に、目玉となる「琥珀の間」の復元は大変な作業だったようだ。
  そこで、「琥珀の間」などドイツ軍に略奪された財宝の行方だけど、現在の金額にすれば、400億円から500億円ともいわれていて、ドイツのケーニヒスベルク城に保管されたのを最後に行方不明となっている。
 イギリス軍の空襲で消滅されたとされているが、それを信じないでいまだに宝探しをしている人は多いようだ。

 *ロシアの自動車産業
  ロシアでの現地生産車としては、ラーダ(LADAを知っているが、このマークは殆ど見ない。
  ルノー(日産)がかなりのシェアを持っていて、最近はトヨタも販売を伸ばしている。
  トヨタや日産はロシアに生産工場を持っている。
  多くの車は、マニュアル車で、ナビゲーションは付いていなかった。

 *パブロフスク宮殿ではガイドは二人になる
  パブロフスク宮殿でのガイドは、前から付いているオリガさんの他にやや高齢の現地の女性が付きました。
  ツアー参加者合計:28名が、14名づつ2班に分かれて、イヤホンガイドで説明を受けます。私は、新しく付いたガイドさんのグループになりましたが、日本語がオリガさんほど堪能ではありませんでした。
 
 *パブロフスク宮殿は地味
  午後行ったパブロフスク宮殿は、観客も少なくて空いています。
  前に、絢爛豪華なエカテリーナ宮殿やエルミタージュ美術館を観ていると、随分と見劣りがします。

 *大黒屋光太夫のこと
  井上靖「おろしあ国酔夢譚」を読みました。
  それによると、伊勢から出て遭難した船は、8か月後、1782年にロシアのアリューシャン列島の1つであるアムチトカ島に17名が生きて漂着し、途中北の各地を移り渡り、病死などの仲間を出しながらも、ロシア語を習得し9年後には5名が生き残りました。
  光太夫はロシア人の有力者の援助で1791年にサンクト・ペテルブルグの郊外にある、エカテリーナ宮殿でエカテリーナ二世に拝謁でき、5名のうち2名は、ロシア正教に帰依したのでロシアに残り、光太夫、磯吉、小市の3名は帰国が許され、1792年、日本に帰りましたが、小市は北海道で病死しました。
  江戸まで運ばれた光太夫と磯吉は、鎖国政策をとる江戸幕府にとっては面倒な存在で、70過ぎまで生きましたが半幽閉の形で江戸で過ごしたとのこと。
  でも、光太夫らが苦労して得たロシアに関する事柄は幕府内では、活用されたようです。

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更新記録
2017年11月22日:第1稿Up
2017年11月13日:作成着手
2017年10月12日:準備開始

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